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最高裁判所第三小法廷 昭和54年(あ)770号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

(上告趣意に対する判断)

検察官の上告趣意のうち、原判決が非供述証拠として取調べられた新聞記事の写に供述証拠としての証拠能力を認め厳格な証明の対象となる事実の認定に供したとして判例違反をいう点は、所論引用の判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余は、判例違反をいう点を含め、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

(原判決の事実認定についての職権による調査及び判断)

検察官の上告趣意の主な論点は、本件住居侵入・強盗殺人の犯行が被告人によるものであると認定するについて合理的な疑いがあるとした原判決の証拠の取捨選択、価値判断及びこれに基づく事実認定を不当とするにある。

所論にかんがみ、当裁判所は、職権により、訴訟記録並びに第一審及び原審において取調べられた証拠に基づいて、所論指摘の各点につき調査をした結果、原判決の証拠の取捨選択、価値判断は概ね首肯するに足り、原判決を破棄しなければならない重大な事実誤認があるとは認め難く、結局、原判決を維持するのが相当であるとの結論に達した。その理由の主な点は、以下に説示するとおりである。

一  はじめに

本件においては、被告人を真犯人と認めるべき直接的な確たる物証がなく、犯行の目撃者もないものの、被告人の捜査段階における相当に具体的で詳細な自白があり、これを裏付けるかに見える少なからぬ情況証拠も存在している。他面、被告人は、捜査段階の当初から本件犯行を全面的に自白していたのではなく、その供述は後にみるような変転、動揺を経ており、しかも、公判段階においては、右自白は捜査官の暴行、脅迫、強要、誘導、暗示等違法、不当な取調によるものであるとして、自白を全面的に翻し、自分は本件にはかかわりがない旨、詳細かつほぼ一貫した弁解をしている。

第一審は、その取調べた多数の証拠に基づき、被告人の弁解は採用し難いものとして、被告人を本件の真犯人と断定し、無期懲役刑を言い渡したのに対し、原審は、更に詳細な事実調をした上で、第一審判決と判断を異にし、被告人の弁解は排斥し難く、同判決が有罪の証拠とした各証拠の信用性に疑問があるとしたほか、被告人の自白については任意性に疑いがあるとして、同判決を破棄し無罪の言渡をした。これに対する所論の論難は詳細かつ多岐にわたるが、被告人の自白の任意性の点については一まずおき、右自白を含む各証拠の信用性に関する主な点について、当裁判所の判断を示すこととする。

二  客観的証拠の信憑性

(一)  現場に遺留された靴跡について

1 所論は、本件犯行現場の被害者の死体の直近に落ちていた三枚重ねの段ボール紙片(東京地方裁判所昭和四六年押第六五三号の2)の一番上のものに遺留されていた数個の靴跡(以下「本件靴跡」という。)が、被告人の茶色革短靴(前同押号の5)の右足用のもの(以下「被告人の短靴」という。)によって印象されたものであり、これにそう警視庁科学検査所巡査部長平林良次作成の鑑定書(以下「平林鑑定」という。)は、右靴跡の解読に誤りがなく、スーパーインポーズ法を用いた鑑定方法も科学的合理的なもので十分信用に値するのに反し、右靴跡が被告人の短靴によるものではないとする原審鑑定人宮内義之介(名古屋保健衛生大学教授)の鑑定書(以下「宮内鑑定」という。)は、右靴跡の解読を誤り、型紙によるという確度の低い鑑定方法を用いるなど到底信用し得ない旨主張する。

2 被告人の短靴について、所論は、これを被告人が本件前に所持し、使用し、本件犯行時にも使用した旨主張するのであるが、被告人は、右短靴は東京都大田区北馬込所在の千葉荘に居住する友人の水越義明方の下駄箱に入れておいたのを本件発生後に取り出したものである旨弁解している。

関係証拠を検討してみるのに、所論にそう米満俊雄、田島勇一の第一審各証言等の証拠は、必ずしも明確なものでなく、これらと相反する証拠もあって、その信用性に疑いがあることは原判示のとおりと認められ、被告人が右短靴を本件前から使用していたものと認めるには証拠が十分とはいえない。しかし、本件当時被告人以外の者がこれを使用していたのではないかと疑うべき証跡もないので、本件靴跡が右短靴によるものであることが明らかであるならば、被告人と本件犯行とを結びつけるほぼ決定的な証拠となるということができよう。

3 平林鑑定は、本件靴跡と被告人の短靴について、踵部における馬蹄形の形態、推測される大きさ等に大差がないように見られること、踵部上縁の「V」形様欠損及び「〇」形様の釘頭痕の存在とこれらが共通しているように見受けられることを主な根拠として、両者が「よく類似する」としている。

そこで、平林良次の第一審及び原審証言、宮内鑑定、宮内義之介の原審証言、更には、原審において宮内鑑定の証明力を弾劾する証拠として刑訴法三二八条により取調べられた警視庁科学捜査研究所の巡査部長菊地正吉・主事高生精也作成の鑑定書(以下「菊地・高生鑑定」という。)などの関係証拠を参酌しつつ、平林鑑定の信用性、そして右靴跡が被告人の短靴によるものかどうかについて、以下に検討を加える。

前記段ボール紙片の本件靴跡は、いずれも完全なものではなく、部分的に重なっているところもあり、鮮明なものとはいえないが、全体的な形状、大きさは、一見したところ被告人の短靴にかなりよく似ているものといえる。しかし、子細に見ると、例えば、踵部の湾曲した前縁の形状が異なるように思われるなど、必ずしも形状が合致しているとはいい難いところがある。平林鑑定が挙示する「V」形様欠損及び「〇」形様痕は、対応関係自体必ずしも明確とはいえず、特に取り上げて指摘しうるほどの特徴とは認め難い。むしろ、問題なのは、右短靴の踵部後尾には二辺が約一・五センチメートル、他の一辺が約一・二センチメートルの三角鋲が打ち込まれており、靴底(踵部の底面)より若干浮き出ているのであるが、前記段ボール紙片の靴跡には、踵部後尾まで印象されているものについてみても、肉眼では右三角鋲に対応する圧痕、印象痕を確認できず、本件後最も早い時期になされた平林鑑定も、右短靴による印象実験の結果三角鋲痕が印象されることを確認してこれを指摘しながら、右段ボール紙片の靴跡については三角鋲痕の存在を何ら指摘していない点である。この点については、平林良次の原審証言を検討してみても、右段ボール紙片の靴跡に三角鋲痕が認められたとする部分は見当らないので、同人は、右靴跡に三角鋲痕の存在を確認し得なかったものと解するほかはない(菊地・高生鑑定は、右靴跡痕の二か所に三角鋲痕が認められるとしているが、その指摘するところを同鑑定書添付の写真等の資料につき子細に検討してみても、果たしてそれが三角鋲痕であるのか必ずしも明瞭でない上、仮に三角鋲痕であるとしても、その位置、形状が被告人の短靴のそれと一致しているとはいい難く、したがって、右鑑定もたやすく信用することができない。)。

4 平林鑑定には、右のような問題とすべき点があり、これと相対立する宮内鑑定に依拠するまでもなく、本件靴跡と被告人の短靴とがよく類似するとする点の信用性には疑問があるといわなければならない。

5 仮に、平林鑑定の信用性が全面的には否定されないとしても、同鑑定も、本件靴跡と被告人の短靴との形状が「よく類似する」としているにすぎないので(この点は、菊地・高生鑑定についても同様である。)、もともと、平林鑑定のみによって右靴跡が被告人の短靴によるものと断定することは困難であるが、前述のような相違点等を参酌すると、別の短靴による疑いも多分にあるものといわざるを得ない。

6 なお、所論は、原判決後に検察官の嘱託に基づき作成されたものとする東京大学医学部講師内藤道興作成の鑑定書をも援用しているが、その鑑定の結果も、平林鑑定(あるいは菊地・高生鑑定)とほぼ同様、本件靴跡は被告人の短靴の靴底の形態に「よく類似しており、少なくとも相互に矛盾するところはないと思われる。」というにとどまるもののようであり、所論の引用するところや作成の時期などにも照らし、平林鑑定(あるいは菊地・高生鑑定)以上に確度の高いものとはいい難く、前記判断を左右するものとは考えられない。

(二)本件犯行後における被告人の言動について

1 所論は、被告人、本件犯行の翌日である昭和四五年一〇月一九日早朝、前記友人水越義明の居室に赴き、同人に対し、「大森の銀行の事件を知っているか、あれは俺がやったんだ。」などと言い出し、同人の質問に対し、「五人位でやったが自分は直接殺していない。電気掃除機のコードで首を締めた。金庫に鍵がかかっていて開かず駄目だった。」などと答えていること、同月二〇日には、一〇万円の借金をしていた風間鋼一に電話をした際、本件にかかわりあって警察に追われているので借金の返済を待ってもらいたい旨話していること、同日東京都品川区荏原に居住する知人の佐藤貴士方からライフル銃、散弾銃及び実包約一〇〇発を窃取し、神奈川県湯河原町に立ち寄っていたところ、同月二三日自己の乗る自動車のラジオで、右ライフル銃等を窃取した者がそれを持って車で逃げているとして警察が追っていることを知り、右車を乗り捨て、次々に自動車を盗んで乗り換えては警察の警戒網を突破し、ほとんど飲まず食わずの疲労しきった状態で、同月二七日早朝新潟県北蒲原郡中条町の本籍地の実母近田マツ方にたどり着き、同女や姉A子、兄Bらが心配してあれこれと聞き出そうとしたのに対し、「銀行員殺しは四人でやったが、自分は刺しただけで首は締めていない。」旨返答していたこと、なお、被告人は、本件で起訴された同年一二月二一日、東京地方裁判所の裁判官による勾留質問の際、本件公訴事実を認め、同月一九日付及び同四六年四月一日付で被害者の遺族に対し謝罪の手紙を送っていることなどの事実は、被告人が本件の真犯人であることの動かし難い証左である旨主張する。

2 右のうち特に肉親に対する言動について、被告人は、第一審及び原審において、疲労困憊し混乱した状態で実母方まで逃げて来たところに同女らから本件についていろいろ聞かれて説明するのが億劫になり、いい加減な返事をしたなどと弁解しているのであるが、いかに右のような状態にあったとはいえ、肉親に対してまで本件との関係を肯定するような返答をしたことは、原判決も指摘しているとおり、理解に苦しむところであり、右のような言動は、しばしば真犯人が自己の刑事責任を軽減するため他人をひき入れる場合に用いることがあるということや、その他の情況とも相まって、被告人が本件に関与しているのではないかとのかなり強い疑いを抱かせるものといわざるを得ない。しかしながら、右肉親や友人らに対する言動は、その後の公訴事実にそう自白とも重要な点で相違しているのであって、その証拠価値には自ずから限度があり、所論のいうほど決定的なものであるとすることはできないものといわなければならない。のみならず、右言動も所詮は被告人自身の自己に不利益な供述であって、客観的証拠の裏付けがあってはじめて高い信用性を有するに至るものにすぎない。また、前記水越や風間に対する言動は、当時同人らの注意をひく必要があったことや、同人らと被告人の間柄、被告人の性格などからみて、安易軽率になされたものとみる余地もないではなく、肉親に対する言動も、実母らに問われるままに、疲労困憊し精神的に混乱した状態で、水越らに対する場合と同様に、深い思慮もなく答えたものとみることもできないわけではない。そして、更に、勾留質問で公訴事実を認めたことや謝罪の手紙も、既に捜査官に対し全面的に自白した後のものであり、後に検討する自白と同一線上のものとみることも可能である。所論指摘の被告人の言動については、以上のほかにも多義的な解釈を容れる余地があり、この点に関する原判断は概ね首肯し得ないではない。

(三)  本件犯行直前の被告人の行動について

1 所論は、石田昭次、金谷アサ子、高嶋実及び三ヶ島政俊の捜査官に対する各供述調書等によれば、本件が発生した昭和四五年一〇月一八日午前一時三〇分ころの約一時間半ないし二時間前である同月一七日午後一一時三〇分ころから午後一二時ころまでの間に、本件犯行現場である東京都品川区南大井六丁目二七番所在の当時の日本勧業銀行大森支店(以下「本件支店」という。)から比較的近い距離にある同区南大井六丁目一番所在丸栄マッサージ付近に被告人がいたことは動かし難い事実として肯認することができ、被告人の、右丸栄マッサージ付近にいたのは本件前夜の同月一六日夜のことであり、同夜右石田と会って話をした後川崎市登戸に行って一夜を過した旨の弁解は、虚偽である旨主張する。

2 所論援用の石田らの供述は、原判決が指摘するように、右石田がその日を特定する根拠とした丸栄マッサージの営業日報について証拠保全の措置がとられておらず、同人以外の者にも示されたのかどうかも明らかにされていないなど、疑問とすべき点がないではないが、いずれも右日にちを特定する根拠や目撃状況をかなり具体的に述べており、その一応の裏付けもあり、全くの記憶違いともいい難い反面、雨のさ中に右石田と会って話をした後川崎市登戸に行ったとする被告人の弁解も、天候の点はこれにそう気象台の観測資料が存在することのほか、司法警察員鹿又信秋作成の強盗殺人被疑者足取り捜査報告書、同人の原審証言等の各証拠に徴し、たやすく排斥し難いところがあり、被告人が石田と会って話をしたのが本件当夜であったと認定するのには疑問がないとはいえない。

3 仮に、被告人が丸栄マッサージ付近で石田と会って話をしたのが本件当夜であったとしても、その時刻、場所からみて、被告人が犯人であっても矛盾はないといいうるにすぎない。

(四)  アリバイについて

1 所論は、被告人の、本件犯行が行われたころをはさむ昭和四五年一〇月一八日午前零時過ぎころから午前六時ころまで東京都品川区荏原四丁目九番二号清水敏方前路上に自動車を駐車させて車内で寝ていた旨のアリバイの主張は、これを認めるに足りる証拠がなく、被告人の主張する時間帯の同日午前二時三〇分ころたまたま右清水敏方付近に来合せた吉田勝義、桜庭啓一及び鬼沢省三ら三名が、いずれも被告人の車はなかった旨証言しており、被告人の右アリバイの主張は虚偽である旨主張する。

2 岡本太子の第一審証言及び清水環の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人が同日午前七時ころから午前八時ころにかけて右清水敏方前に駐車させた自動車内にいたことは認められるが、右事実から被告人の主張する同日午前零時ころから午前六時ころの間にも被告人が同所にいたと推認することは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠は見当らない。

3 しかし、所論の援用する前記吉田ら三名の証言ないし同人らの捜査官に対する供述調書も、原判示のように、必ずしも付随的な事情とはいい難い点について相互に食い違うところがあるなど、信用性に疑いがないではなく、これらの証拠によって被告人のアリバイ主張を排斥しうるか疑問なしとしない。

三  被告人の自白の信憑性

次に、所論は、被告人の自白は、その主な部分において客観的証拠と符合し、あるいは、いわゆる秘密の暴露をも含むなど、十分信用しうるものである旨主張する。

(一)  ビニール手袋、ウォーターポンプ・プライヤー、ヤッパ(手製刃物)の入手及び処分について

1 被告人の自白によれば、被告人は、本件犯行の際、昭和四五年一〇月一五日に横浜市神奈川区に居住する佐々木茂からもらい受けていたビニール手袋を着用し、同年三、四月ころ相模原市内の三ノ輪鉄工所から盗み出していたウォーターポンプ・プライヤー(以下「プライヤー」という。)で犯行現場の本件支店一階営業室内の金庫室の主扉の軸受金具のボルトを、最初の一個は初め右回しにしたが緩まなかったので左回しにし、あと三個はいずれも左回しにして外し、同年一〇月一二日に東京都昭島市内の友人姜竜男方から盗み出していたヤッパで被害者を突き刺し、右プライヤーとヤッパは、犯行現場から逃げ出して品川埠頭に行き海中に投棄し、ビニール手袋は、同月一九日に前記佐々木茂と共謀して前記水越義明の自動車内から預金通帳等を窃取した際にも使用した上、田園都市線荏原町駅近くの駐車場に捨てた、というのである。

2 所論は、被告人の右自白は、プライヤーによって金庫室主扉のボルトを外し、その際、最初の一個はプライヤーを左右両方向に回していること、ビニール手袋は前記駐車場に捨てたことなどは被告人の供述によって判明したもので、その裏付けもあり、いわゆる秘密の暴露を含むほか、ビニール手袋、プライヤー及びヤッパの入手の方法又は時期についても、これらを裏付ける関係者の供述ないし証言があり、客観的証拠と符合し、十分信用し得る旨主張する。

3 しかしながら、右の点に関し見過ごすことができない重要な点は、肝腎な右ビニール手袋、プライヤー、ヤッパがいずれも発見されていないということであり、ことに、プライヤー及びヤッパについては、被告人の自白後直ちに被告人が投棄したとする品川埠頭付近の海底を二日間にわたって、潜水夫、マグネット、底引網を使用して捜索したにもかかわらず、ついに発見されなかったことが認められ、このことは、被告人の自白の信憑性に少なからぬ疑問を投げかけるものといわざるを得ない。

4 のみならず、ビニール手袋については、被告人が前記佐々木茂からもらい受けたことは認められるが、それが本件前の昭和四五年一〇月一五日に同人と洗車に行く際であったのか、本件後に前記水越義明の自動車内から預金通帳等を盗む際に使用するためであったのか、被告人の供述だけでなく、右佐々木の供述ないし証言も変転しており、関係証拠を検討しても、必ずしも所論のように被告人が右手袋を本件前に既にもらい受けていたものとは断じ難い。

また、被告人がビニール手袋を捨てたとする場所は、被告人の自白によって確認されたものであることは証拠上明らかであり、その限りにおいては、いわゆる秘密の暴露としての意義をもつものといえるが、被告人は、前述のとおり、本件後に佐々木茂と窃盗の犯行に及んだ際にビニール手袋を使用したことが認められ、被告人自身、右手袋を前記駐車場に捨てたこと自体は認めて争わないところであって、右の場所にビニール手袋を捨てることは、本件犯行と無関係にもなされうることが明らかであり、右の点は、必ずしも被告人の自白の信憑性を裏付けるものとはいえない。

5 プライヤーに関しては、これを前記三ノ輪鉄工所から窃取したものであるとする被告人の自白にそう三ノ輪利平ほか同鉄工所の者らの捜査官に対する供述等は、必ずしも明確なものとはいえないばかりか、右証拠に即応しない証拠もあり、右プライヤーが被告人によって盗まれたものとは認定し難く、被告人の自白を裏付けるものとはいえない。

6 ヤッパの入手関係については、被告人の自白を裏付けるべき証拠として、姜竜男、金吉粉の各捜査官に対する供述調書、第一審及び原審における証言等の証拠があるが、姜は同時に盗まれた自動車等については昭和四五年一〇月一二日に被害届を出しながら、ヤッパについては同年一二月一四日に至ってようやく追加被害届を出していること、右姜及び金が右ヤッパの盗難について述べるところには明確を欠く点があることなど、右証拠が十分信用するに足りるものか、疑問がないとはいえない上、右姜は、原審第一三回公判に至って、被告人に盗まれたと思っていたヤッパがその後昭和四九年五月ころ発見された旨、従前の供述と相容れない証言をしている。

所論は、姜の右新証言について、同人は被告人が昭和四九年一二月一九日東京拘置所から出した手紙による働きかけで偽証に及んだものである旨主張するところ、右手紙の内容が所論主張のような趣旨を含むものとは認め難いばかりでなく、被告人がこれを差し出す際に、右のようにヤッパが発見されていたことを知っていたものと認めるべき証跡はなく、右姜証言が偽証であるとは断定し難い。もっとも、関係証拠によれば、右姜は、右ヤッパを任意提出し、そのヤッパの不法携帯について銃砲刀剣類所持等取締法違反に問われ、同年七月三一日他罪とともに略式命令を受け、これが確定し、右ヤッパは廃棄処分に付されていることが明らかであることからも、右のようなヤッパの存在自体は動かせないところであるが、これと姜が当初被告人に盗まれたとして被害を申告したヤッパとが同一のものであったかどうかの点については、いずれともいい難い。

7 取り外されたボルトの一個に左右両方向に回されたツールマークがある点について、被告人は、検察官に対する昭和四五年一二月四日付供述調書において、初めて右事実に対応する自供をし、右調書の作成者である鈴木安一検事は、第一審において、被告人が右供述をするに至った際の特異な状況について証言しているのであるが、右のようなツールマークが存在することは、右調書が作成される以前の同年一一月二〇日付の司法警察員皆川寛ほか一名作成の一階金庫の六角頭取付ボルトをはずした類似刃形工具報告書においてすでに指摘されており、右皆川寛の原審証言等にも徴すると、被告人の前記自供をもって、いわゆる秘密の暴露といいうるか疑問である。

(二)  犯行状況について

1 被告人の本件犯行状況についての自白は、極めて詳細かつ具体的であるが、これを要約すると、被告人は、本件支店一階営業室の金庫室主扉のボルト四個を抜いて軸受金具二個を取り外したところで被害者に発見されるに至り、同室からその南側廊下に逃げ出したが、被告人を捕えようとした被害者に追いすがられたことから、逮捕を免れるため、ズボンの左内側に差していたヤッパを抜いて右手に持ち、振りむきざま数回にわたって被害者を突き刺そうとしたが、体をかわされ、あるいは手で払われ、更には、ヤッパを持った被告人の右肘を掴まれるなどしたため、廊下の壁を突き刺したりして、同人の胸部等を二回ほど突き刺したものの、同人を振り払うことができず、同人に顔も見られてしまったので、この上は同人を殺害するほかはないものと思い、たまたま廊下の左横の壁際にあった電気掃除機が目に入ったところから、そのコードを左手で取り、ヤッパはその場に落してコードを右手に持ち替え、被害者の頚部に三回にわたって巻き付け、両手で交差させて締め付けた上、最後は蘇生しないように同人の右前頚部で一結びして絞殺した、というのである。

2 所論は、右犯行状況についての被告人の自白は、客観的証拠によく符合する旨主張する。

関係証拠によれば、被害者の死体には胸部、上下肢等七か所に刃物によるものと認められる刺切創があり、その頚部には電気掃除機(業務用の高さ一メートル余りのもの)のコード(黒ゴム被覆で外径九ミリメートル、前同押号の1)が三重に巻き付けられ、前頚部でいわゆるかたわな結びの結び目が作られており、死因は絞頚による窒息死であること、現場廊下の壁に刃物によるものと推認される損傷痕があることが認められ、これらの事実は、被告人の前記自白に照応するものということができる。

3 しかしながら、被告人の前記自白の中で最も疑問に思われるのは、被告人が、ヤッパで被害者を突き刺そうとしたところ、これを避けようと必死になっていたはずの被害者にヤッパをもった右腕を掴まれ、同人と向い合って掴み合いの状態になっているさ中に、左手で電気掃除機のコードを取り、これを右手に持ち替えた上同人の頚部に巻き付けて絞殺するということが、果たして可能かどうかという点である。被害者と被告人との体格にかなりの優劣の差がある場合ならば格別、被告人が優っていたとは認め難い本件の場合、右のような方法で絞殺することは、著しい困難を伴うものといわざるを得ない。また、被害者の死体が発見された際には、被害者の頚部に巻き付けられたコードの結び目から電気掃除機の本体につながる側のコードは被害者の左肩から背部を通って電気掃除機につながっていたのであって、被告人の自白にあるような両者が向いあった状態で右のようなコードの状況を作出することは、原判示のとおり極めて困難であると認められる。右の点に関し、被告人が結び目を作ったのが被害者の頚部をコードで締め付け失神させて床に転倒させる前であったのか又は転倒させた後であったのか、被告人の自供自体明確ではないが、仮に、転倒させた後に結んだものであるとしても、当然には右のようなコードの状態にならないことも原判示のとおりである。

4 被告人の犯行状況についての自白には、右のほかにも疑問とすべき点がある。

すなわち、被害者の右側頭部には軽傷ではあるが三か所の打撲傷があるところ、被告人の自白によれば、被害者は前記コードで頚部を締め付けられ意識を失ってゆっくりとその場に仰向けに倒れたというのであって、右打撲傷は、その部位からみて右転倒の際に生じたものとみることは困難であり、被告人の自白からは、他に右打撲傷を生じさせるような状況は窺い難い。また、被害者は、前示のような刺切創等を受けて多量とはいえないがある程度出血していたものと認められ、特に左手掌部には二か所の切創があり、死体の写真に徴しても明らかに出血が認められるところ、被告人の自白によれば、被害者は突き刺されまいとしてヤッパを握っていた被告人の右手の肘部を左手で掴んだというのであるから、少なくとも被告人の着衣の右肘部にあたるところに血液の付着が認められて然るべきであるのに、原審における検察官の釈明によれば、本件当時被告人が着用し洗濯をした形跡もない着衣に右血液の付着は証明されなかったというのであって、血液の付着を認めるべき証拠は提出されていない。更に、犯行現場廊下側壁には四か所に刃物様損傷痕が認められるところ、この損傷痕は、壁を突き刺したのは一回であったという被告人の自白と符合しない。もっとも、この点については、犯行状況に徴し、被告人の認識、記憶に不確かな点があり、自白と齟齬があったとしても不自然とはいえないが、司法警察員斉藤元幸作成の昭和四五年一二月二九日付実況見分調書によって認められる右側壁の損傷痕は、被害者を突き刺そうとしてよけられたヤッパがたまたま突き刺さって生じたものとはいい難い形状をしており、自白と符合するといえるか疑問である。

5 被告人の犯行状況に関する自白には、少なくとも右のような各点において、客観的事実とは符号しない疑いがあり、これらの点は、必ずしも単なる認識、記憶の混乱や不正確さ等に由来するものとはいい難い。

(三)  自白の経過及びその内容の変遷、動揺について

1 ところで、記録によれば、被告人は、昭和四五年一〇月二七日、逃走先の前記実母近田マツ方付近において、佐藤貴士方からライフル銃等を盗んだという別件窃盗の容疑で逮捕され、同月三〇日警視庁留置場に勾留されたものであるが、既に前記水越義明方においてした本件犯行を自認する言動等により本件犯行についての容疑がかけられていたところから、本件についても取調を受け、同日付の司法警察員に対する供述調書においては、本件犯行を否認し、本件が発生したころは前記清水敏方前路上に自動車を駐車させその車内で寝ていた旨のアリバイを主張していたこと、そして、同年一一月六日右別件等について起訴された後、同月一三日に至って他二名と本件犯行に加担した旨自供したことから、同月一四日本件について逮捕された上、同月一七日勾留され、同年一二月二日付の司法警察員に対する供述調書中で、本件が被告人の単独犯行である旨自供するに至ったものの、犯行に使用したとする前記プライヤー及びヤッパの入手先を明らかにしようとしなかったことから、同月六日本件について処分保留のまま身柄釈放の手続がとられたこと、しかし、被告人は、前記別件による勾留中であったところから、引き続き警視庁で本件についての取調を受け、同月一〇日ころから一五日にかけて、右プライヤー及びヤッパの入手先についても最終的な自供をするとともに、本件犯行について全面的な自白をするに至り、同月二一日別件勾留中求令状で本件住居侵入・強盗殺人で起訴されたものであることが認められる。

2 この間の被告人の捜査官に対する供述を検討すると、かなり重要な点において、単なる記憶違いや不確かさ等に起因するものとはいい難い供述の変転、動揺が認められる。すなわち、本件犯行に使用したとする手袋が軍手からビニール手袋に、ヤッパが木製の柄及び鞘付きのものから柄の部分に包帯が巻かれ刃の部分にも鞘代わりに包帯が巻かれたものに、いずれも特段の説明もなく変更され、ヤッパ及びプライヤーについては、最終段階に至ってようやくその入手先を明らかにしており、右ビニール手袋、プライヤー及びヤッパを捨てた時期あるいは場所にも顕著な変動があるほか、なお、前記金庫室主扉から重さが三・三キログラム余りある軸受金具二個が取り外されているのに、当初はそれらを取り付ける六角頭のボルトの取り外し状況についてのみ供述し、右金具については全く触れず、後に至って図示したものも実物とは形状が異っていることなどが指摘されるのである。

(四)  被告人の自白の信憑性について

以上、(一)ないし(三)に説示してきたところから既に明らかなように、被告人の捜査官に対する自白は、客観的証拠と必ずしも符合しない疑いがあるほか、その内容に看過し難い変転、動揺があるなど、その信用性を肯定するには少なからず疑問があるといわなければならない。

なお、被告人は、第一審以来一貫して、前記自白が、警察官の暴行、脅迫、誘導、暗示等の、あるいは検察官の誘導、暗示等の、違法、不当な取調によるものであり、その内容は事実に反する旨弁解しているところ、被告人の取調にあたった捜査官らの第一審又は原審における証言等関係証拠に徴しても、暴行、脅迫等明らかに違法と目すべき取調が行われたものとはたやすく認め難いとはいえ、前記のような自白の内容の変遷、動揺は、被告人が、捜査官による長期間にわたる取調、追及を受け、自らも新聞、ラジオ等で本件についての報道に接していたところから、想像や推測をも交えて、その場その場で捜査官の想定した状況にそう供述をしていったのではないかと考えられないでもなく、このことは、右自白の信憑性の判断にあたって看過し難いところといわなければならない。

四  結論

以上、本件における証拠の評価及びこれに基づく事実認定をめぐり、第一審以来争点とされ、所論が原判断の誤りを主張する論拠としたところの主要な点について、当裁判所の判断を説示してきた。

被告人が本件の真犯人ではないかとの疑いが全くないとはいえない。しかし、叙上に説示したとおり、被告人の自白を除くと、極めて多数の証拠はいずれも被告人と本件犯行とを結びつけるに十分ではなく、しかも、右自白には、前示のとおり、数々の疑問点があって、全面的にはその信用性を肯定することができない。原審が疑問としたところは、所論の論難ないし論証にかんがみ、記録を精査、検討してみても、これを解消するに至らないまま依然疑問として残るものといわざるを得ないのであって、本件においては、結局、被告人に不利益なすべての証拠を総合しても、有罪の心証を得ることができないものというほかはないのである。

そして、第一審及び原審における審理の経過及び内容のほか、本件発生後既に一一年余りを経過していることにもかんがみると、もはや、新たな決定的証拠が発見される可能性は考え難く、真相を解明することは著しく困難というほかはない。

してみると、本件における主な争点の一つである被告人の自白の任意性の点については判断するまでもなく、疑わしきは被告人の利益に、との刑事裁判の鉄則に従い、被告人に対し無罪の言渡をした原判決は、結論において首肯するに足りるものとして、これを維持するのが相当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 環 昌一 裁判官 横井大三 裁判官 寺田治郎)

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